雨宮塔子さんは元TBSの人気アナウンサーであり、現在はフリーアナウンサー・エッセイストとして活躍する女性です。近年はテレビの世界に復帰したことも話題となりましたが、実は長年フランス・パリを拠点に活動してきました。そんな雨宮さんの家族構成や、これまでの結婚・離婚の経緯、そしてパリでの生活や現在の様子について気になる方も多いでしょう。本記事では、雨宮塔子さんのご家族や生い立ち、結婚生活と子育て、離婚の理由、さらに現在の仕事や暮らしぶりまで、最新のエピソードを交えながら丁寧にご紹介します。
実家の家族構成と生い立ち
雨宮塔子さんは東京都杉並区のご出身で、実家の家族構成はご両親と弟さんが一人という4人家族です。お父様の雨宮秀樹さんは文藝春秋が発行する文学雑誌『文學界』の元編集長という経歴をお持ちで、文化的な薫り高い家庭で育ちました。弟さんは雨宮さんの1歳年下で、幼い頃から兄妹仲が良かったそうです。幼少期の雨宮さんはクラシックバレエを習うなど多彩な習い事も経験し、ご両親のもとでのびのびと育てられました。高校・大学時代には成城学園で学び、同級生に女優の鶴田真由さんがいるなど、学業面でも恵まれた環境に身を置いていました。
TBSアナウンサーとしての活躍と退社
大学卒業後の1993年、雨宮塔子さんはTBSにアナウンサー28期生として入社しました。入社直後から『どうぶつ奇想天外!』や『チューボーですよ!』など人気バラエティ番組でアシスタントを務め、一躍お茶の間の人気者となります。明るく華やかなキャラクターで視聴者を魅了し、報道番組やラジオ番組の司会もこなすマルチぶりを発揮しました。順風満帆に見えたアナウンサー生活ですが、雨宮さんには学生時代から「本場で絵画を学びたい」という夢もありました。そして1999年、約6年間勤めたTBSを思い切って退社し、かねてから憧れていたフランス・パリへと渡る決断をします。
フランス移住と結婚生活
退社後に単身で渡仏した雨宮塔子さんは、パリの美術学院に通いながらフランス語や西洋美術史を学び始めました。異国の地で新たな勉強に励む中、運命的な出会いが訪れます。2002年、パリで日本人パティシエの青木定治さんと知り合い、同年12月に結婚しました。青木定治さんはパリに本店を構える有名パティスリー「サダハル・アオキ」(SADAHARU AOKI)のオーナーシェフで、芸術的な洋菓子で世界的に知られる方です。雨宮さんは結婚を機にパリでの生活を本格スタートさせ、現地に根を下ろしました。結婚当初は、新婚生活と慣れない海外生活との両立で苦労もあったようですが、持ち前の前向きさでパリの文化や習慣にも徐々に馴染んでいったようです。
子どもの誕生とパリでの子育て
結婚から間もない2003年には長女を、続いて2005年には長男を出産し、雨宮塔子さんは二児の母となりました。子育ての舞台もここパリです。夫婦ともに日本人ではあるものの、子どもたちはフランスの地で育つことになり、雨宮さんは異国での子育てに奮闘する日々を送りました。フランスの保育園や学校に通わせる中で、日本との教育観の違いや言葉の壁にも直面しましたが、それらを乗り越えるために努力を重ねたそうです。例えば、幼い子どもがフランス語に慣れるよう、幼稚園に上がる前から現地の託児所に通わせるなど工夫もしています。育児のかたわら、自身もエッセイ執筆を始め、パリでの日常や育児体験を綴ったエッセイ本を次々と出版しました。代表的な著書には、パリでの暮らしぶりをユーモラスに描いた『金曜日のパリ』『それからのパリ』『パリ、この愛しい人たち』などがあり、雨宮さんの等身大の子育て奮闘記やフランス生活の様子が日本の読者にも親しまれました。
夫婦のすれ違いと離婚の経緯
華やかに見えたパリでの結婚生活ですが、次第に夫婦のすれ違いが生まれてしまいます。青木定治さんは世界で活躍するパティシエとして多忙を極め、仕事に情熱を注ぐあまり家庭を空けがちになりました。一方、雨宮塔子さんは慣れない海外でワンオペ育児を続ける中で、パートナー不在の寂しさや負担を募らせていったといいます。フランスではどんな場面も夫婦同伴が基本とされる文化があり、学校の行事や家族のディナーでも夫がそばにいない状況が続くことに雨宮さんは耐え切れなくなってしまいました。お互い人間として尊敬し合ってはいたものの、夫婦としての関係を維持するのは難しいと感じ、2013年頃から離婚に向けた話し合いが始まります。約2年にわたる別居と協議期間を経て、2015年3月に正式に離婚が成立しました。
離婚後も子どもたちの親であることに変わりはなく、二人は円満な関係を保っています。実際、雨宮さんは「夫婦としては終わったけれど、親としての絆や人としての信頼・尊敬は今も変わらない」と語っており、青木さんを今でも子育ての同志として頼りにしているそうです。離婚後、青木さんは再婚もされていますが、子ども達のことについては今でも頻繁に連絡を取り合い、互いに協力しながら育てているとのことです。このように、夫婦の形こそ解消したものの、子どもの共同養育という点では良好なパートナー関係を続けているようです。
キャスター復帰と『NEWS23』での活躍
離婚を経て心機一転した雨宮塔子さんは、自身のキャリア復帰にも挑戦しました。長らくテレビから遠ざかっていましたが、2016年に古巣TBSから声がかかり、夜の報道番組『NEWS23』のメインキャスターに就任することが決まります。この報道は大きな注目を集め、雨宮さんが約17年ぶりにテレビのレギュラー番組へ本格復帰する運びとなりました。キャスター就任にあたっては、日本での仕事と子どもの生活環境との間で悩みもあったそうです。当初、子どもたちを日本に連れて来ることも検討しましたが、当時ティーンエイジャーだった子ども達は「今の暮らしを変えたくない」とパリ残留を希望。その意向を尊重し、雨宮さんだけが日本に単身帰国して仕事を引き受ける決断をしました。
『NEWS23』キャスターとしての3年間(2016年〜2019年)、雨宮さんは久々のテレビ出演とは思えない安定感と知性あふれるキャスターぶりを発揮し、お茶の間に再び存在感を示します。仕事の合間にはパリに残した子ども達とも頻繁に連絡を取り、遠く離れていても母親としての気配りを忘れませんでした。しかし心配事もあったようで、特に思春期の息子さんについては「電話口では大丈夫と言っていたけれど、声の奥に寂しさをこらえる気配を感じ胸が痛んだ」と振り返っています。それでも、父親である青木さんや継母の助けもあり、子ども達は無事に成長。雨宮さん自身もキャスター業を全うし、2019年5月末に『NEWS23』を卒業しました。
再びパリへ、現在の生活と活動内容
『NEWS23』降板後、雨宮塔子さんは再び生活拠点をパリに戻しました。現在はパリに住みながら、日本とフランスを行き来する生活を送っています。子どもたちはすでに成長し、長女は海外の大学に進学、長男も高校生から大学生になる時期を迎えています。雨宮さんは母親として子育てが一段落した今、自分自身の新たな活動に精力的です。執筆活動は引き続き行っており、女性誌やウェブでエッセイやコラムの連載を持つほか、パリでの経験をまとめた著書も定期的に刊行しています。2024年9月にはインテリアをテーマにしたライフスタイル本『MY HOME, MY LIFE』を出版し、自宅のこだわりのインテリアや暮らしぶりを紹介しました。25年におよぶパリ暮らしで培った美意識やライフスタイルが詰まった一冊で、多くの読者から共感を呼んでいます。
また、テレビや映像メディアにも現在進行形で関わっています。フランス在住という強みを活かし、日仏の文化交流や芸術に関するドキュメンタリー番組や美術番組にゲスト出演する機会も増えました。さらに雨宮さん自身が出演するオンライン企画や動画配信にも挑戦しています。友人であるフランス在住の女性と組んでYouTubeチャンネルにコンテンツを投稿したり、パリの街歩きをライブ配信するオンラインツアー企画に参加したりと、新しい形で情報発信を行っています。現地の最新トレンドや美しい街並みを紹介する雨宮さんの動画は好評で、ファンから幅広い支持を集めています。エッセイストとして培った文章力と、アナウンサーとしての発信力を融合させ、現在も多方面で活躍中なのが雨宮塔子さんなのです。
SNSで明かされる近況エピソード
雨宮塔子さんはSNSも活用しており、インスタグラムなどを通じてプライベートな近況やエピソードをファンに共有しています。その中には母親としての顔が垣間見える微笑ましい投稿もあります。例えば、長女が大学に進学した際には、その喜びと少しの寂しさを綴り、子どもの成長を実感する心境を明かしていました。また、長男の学校生活に関するユニークなエピソードも紹介しています。高校生だった長男が何度も寝坊して遅刻を繰り返し、ついに学校から親である雨宮さんに呼び出しがかかったというエピソードでは、「息子のだらしなさに思わず苦笑い。でも元気に成長している証拠ですね」といったニュアンスで、フランスでの子育て奮闘ぶりをユーモア交えて報告していました。
さらに最近では、自身の親御さんの介護についても言及しています。ご両親が高齢となりつつあることから、「これからは日本とパリを行ったり来たりしながら両親のサポートもしていきたい」と述べ、家族への思いを綴りました。長年離れて暮らしていたからこそ、親のありがたみを再認識している様子が伝わってきます。こうしたSNSでの率直な語り口からは、キャリアウーマンとしてだけでなく、一人の母親、そして娘としての雨宮塔子さんの姿が浮かび上がります。ファンにとっても、雨宮さんの日常や胸の内を知ることができる貴重な場となっており、その温かな人柄がますます支持を集めているようです。
まとめ:雨宮塔子さんの今とこれから
雨宮塔子さんの家族と歩んできた人生を振り返ると、華やかなアナウンサー時代から一転してパリで家庭を築き、数々の困難を乗り越えてきたことがわかります。両親や弟さんに見守られ育った幼少期、日本で築いたキャリア、フランスでの結婚・出産と離婚、そしてシングルマザーとしての奮闘とキャスター復帰――その一つひとつが雨宮さんの人間的な深みとなり、現在の生き生きとした活動につながっているのでしょう。50代を迎えた今もなお、そのチャーミングな笑顔と前向きな姿勢で新しい挑戦を続ける雨宮塔子さん。パリと日本を股にかけて活躍する彼女の今後の動向にも、引き続き注目していきたいですね。
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