羽生結弦が家族の絆に支えられ歩む現在の活動と未来への挑戦

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羽生結弦の現在の活動

フィギュアスケートに関連した書籍や雑誌が並ぶ本棚。人気選手の特集号が多く目立ち、彼の現役時代から現在まで注目度の高さがうかがえます。羽生結弦選手は2022年夏の北京五輪後、競技生活からプロ転向することを表明しました。現在はプロスケーターとして精力的に活動しており、世界各地のアイスショーや個人主催の公演でその高い技術と表現力を披露しています。代表的なものに、本人が制作・出演する『Yuzuru Hanyu ICE STORY』シリーズがあります。国内では2023~24年シーズンに第2弾、24~25年シーズンには第3弾ツアー「Echoes of Life」を開催し、さいたまスーパーアリーナや広島アリーナなど大規模会場を巡る予定です。これまで競技では見られなかったシンガーやオーケストラとのコラボ演出もあり、羽生選手ならではのドラマティックな氷上ショーをファンに届けています。

出典元:YAHOOニュース

 

アイスショー出演とツアー活動

単独公演に加え、様々なアイスショーにも出演しています。特に故郷・宮城県仙台市を中心とした活動として、東日本大震災の被災地に希望を届ける目的で2015年から始まった『notte stellata(ノッテ ステラータ)』では、2019年と2024年(「Notte Stellata 2024」)に引き続き2025年3月にも仙台・セキスイハイムアイスアリーナで公演予定です。他にも毎年夏に開催される豪華共演のアイスショー「Fantasy on Ice」や「スケート特別演技会」など、トップスケーターが集うイベントでゲスト演技を披露。さらに、キャリア20周年記念として東京都内で単独ショーを開くなど、多彩なステージにチャレンジし続けています。これらのツアーやショー出演では、新プログラムの披露やオリジナル曲の使用、映像演出の導入なども行われ、毎回話題を呼んでいます。

 

出典元:スポニチアネックス

 

メディア出演とSNSでの情報発信

東京駅構内の柱に掲示された広告ポスター。各種メディアで羽生選手が出演する特番やCMの宣伝が行われています。羽生選手はトップアスリートとして多くのCM契約を結んでおり、2024年にも大手電機メーカー(ハイアール/AQUA)や医薬品メーカー(東和薬品)の新CMに出演しています。テレビ出演としては、NHK紅白歌合戦(2017・2018年)での演技披露や、フィギュアスケート関連の特番ゲストなど、スポーツファン以外の層にも広くPRしてきました。さらに個人としては、公式SNSで積極的に情報発信を行っています。公式Twitter(X)・Instagram・TikTokでは、アイスショー出演情報や練習風景、プライベートのつぶやきなどを投稿。特にプロ転向後の2022年夏から始めたTikTokでは練習動画が話題となり、全世界のファンから多くのフォロワーがついています。公式YouTubeチャンネルも開設し、舞台裏映像や映像作品も公開するなど、SNSを通じてファンとの交流を深めています。

 

家族構成と幼少期の支え

羽生選手は仙台市出身の4人家族で、父・秀利さん(元教員)、母・由美さん、そして4つ年上の姉・さやさんの下で育ちました。幼少期はぜんそくを患っており、屋内競技であるスケートを始めたのも治療の一環でした。5歳から姉が通うスケート教室に入門し、「姉のやることは何でも真似した」というように姉へのあこがれから自然にリンクへ通い始めました。また非常に負けず嫌いな性格で、4歳頃には「オリンピックに2回出て2回金メダルをとる」と母に宣言するほど強い意志を持っていました。練習は嫌がることも多かったものの、人前に出ると緊張感以上に喜びを感じるタイプで、「注目されるのが好きだった」と本人も語っています。両親は彼のそうした気質を尊重し、強制はせず「本当にやりたいかどうか」を問いかけて支えました。実際、小学生時代にスケートをやめたいと言い出した際には父があっさりと「じゃあやめれば」と答え、羽生選手はその言葉に意地を見せて踏みとどまったエピソードもあります。このように、幼い頃から家族のサポートを受けて羽生選手はスケートに打ち込んできました。

 

母親・父親、そして姉とのエピソード

日々の練習においても、両親と姉は献身的に支えてくれました。由美さんは幼少期から羽生選手の送り迎えをほぼ毎日行い、仙台の地元リンクが閉鎖されて遠方のリンクへ通うようになると、父親の秀利さんも交代で送迎にあたるようになりました。また、由美さんは当時服飾経験がなかったにもかかわらず、試合用の衣装を全て手作りしたことでも知られています。羽生選手自身も、「仮縫いに付き合わせられるのは面倒だった」と回想しつつ、「今では母親の手作り衣装が大きな支えだったと感じている」と感謝の気持ちを語っています。さらに高校時代には、東日本大震災の影響で拠点をカナダ・トロントに移した際、由美さんが同行。現地でも一緒に生活し、羽生選手の好物のご飯を炊くなど栄養管理や精神面のサポートに徹しました。羽生選手は当時「母の愛情を感じながら滑っている」と語っており、常に母の存在を力に変えてきました。

父の秀利さんも、もとは中学校の数学教師でしたが退職後は息子のマネージャー的役割を担っています。公私ともに羽生選手に寄り添い、試合会場や公式行事では秀利さんが付き添う姿が見られました。姉のさやさんも羽生選手の大きな理解者です。4歳年上の姉は自身もスケートをしていましたが、弟の可能性を信じて大学受験を断念し、サポートに回りました。実際、過去にさやさんは仙台のアイスリンク職員として働き、羽生選手が集中して練習できる環境をガードする役目を担っていたと報じられています。羽生選手もコーチの都築章一郎さんも、成長した今は家族の支えが彼の背中を押し、次には自分が家族を支える番だと話しており、家族との強い絆が今後も彼の力となり続けるでしょう。

 

ファンとの関係と影響力

フィギュアスケート世界選手権2015年に向けた応援横断幕が掲げられた渋谷スクランブル交差点の様子。街頭を挙げて大会を盛り上げるファンの熱気が感じられます。羽生選手は海外にも多数のファンを持ち、その人気ぶりは競技会場の声援にも表れています。公演後には必ずファンに向けて深々とお辞儀して感謝を伝える姿が恒例になっており、SNS上ではファンからの応援コメントに感謝する投稿も数多く見られます。ファンイベントや握手会こそ行っていませんが、SNSでのQ&A企画や会場限定グッズの販売などを通じてファンとの交流を続けています。

また、羽生選手はスポーツ選手としての枠を超えた社会的影響力も持っています。2度のオリンピック金メダル獲得や世界記録樹立によりフィギュアスケートの人気を牽引し、競技界のみならず一般メディアでも連日大きく報道されました。若いスケーターの中には羽生選手を憧れとする選手が多く、彼の演技や姿勢に刺激を受けて技術向上に励む例も少なくありません。加えて、被災地支援を目的としたショー開催や、子供たちへのスケート体験教室支援などにも積極的に関わることで、スポーツを通じた社会貢献にも取り組んでいます。羽生選手はその人柄と発信力で「ファンの心も動かす」存在となっており、現役引退(競技場からの退場)後もその影響力は衰えることなく続いています。

 

引退後の心境と将来の展望

競技生活から離れる決断をした羽生選手は、公式発表で「引退ではなくプロ転向」であることを強調しました。競技のプレッシャーから解放された今は、自らのペースでスケートの表現を追求する喜びを感じているようです。例えば、新たな技術への挑戦(クワッドアクセルを含む難度の高い要素習得)に意欲を燃やしつつ、演技面ではこれまで以上に自由なプログラム構成に取り組んでいます。将来については明言こそありませんが、プロスケーターとして長く活動を続ける意向を示しており、今後もアイスショーのプロデュースや文化活動など多方面での活躍が期待されています。また、これまで多大な支援をしてくれた家族への恩返しとして、今度は自身が家族を支えていきたいという思いも語られています。羽生選手はこれからも「世代を超えて愛されるスケーター」を目指し、ファンとともに新たな挑戦を続けていくでしょう。

 

 

 

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