石田えりさん(本名・内田恵理子さん、1960年11月9日生まれ/熊本県八代市出身)は、幼少期に両親が離婚し、3歳から9歳まで妹さんと共に養護福祉施設で過ごされたという衝撃的な体験からスタートしています。その後、小学校5年生で母親に引き取られ、妹さんと暮らし始めたというエピソードが語られています 。
幼少期と姉妹との絆と施設での暮らし
幼少期の施設生活は、言葉に尽くせぬ孤独と困難があったことでしょう。しかし石田さんは、妹さんと共に過ごしたその時代を越え、強さと自立心を身につけられたようです。その経験が彼女の演技や人生観に深い影響を与えたとも振り返られています。
戦後の女優人生と芸名の由来
中学2年生で上京し、“スター・チャレンジ”に抜擢されて芸能界デビュー。芸名の「石田えり」は、師匠・チャーリー石黒さんの“石”から由来し、当時の運命を感じさせる展開でした。その後、映画『翼は心につけて』やドラマ『ウルトラマン80』、代表作『遠雷』などで確固たる地位を確立されました。
結婚と「命がけ夫婦喧嘩」の離婚会見の真実
1985年、ミュージシャンの芳野藤丸さんと結婚されましたが、1990年に離婚。その間には泥沼とも言える「命がけの夫婦喧嘩」があり、離婚会見では「喧嘩の時は殺されるかと思った」「包丁を握ったこともある」と衝撃的に吐露。離婚理由については、「男、好きなんですよ(笑)」と、切なくもユーモアを交えて語られた石田さんらしい会見として語り継がれています。おふたりの間にお子さんはいらっしゃいませんでした 。
女優としてのその後の活動と“美容への挑戦”
50代半ばの2017年には、ライザップでのダイエットに挑戦。3か月でウエストが約14.5cm減という劇的な変化を遂げ、健康的かつ引き締まったメリハリボディを取り戻しました。「もう一度グラビアができるような体型になりたい」という目標にコミットし、見事に成功された姿には多くの注目が集まりました 。
共演者を悼む今の心境と“家族のような絆”
2024年10月、俳優・西田敏行さん(76歳)の訃報に際し、『釣りバカ日誌』で夫婦役として共演した石田さんが「黙っていてもツーカーな感じ」と語るなど、共演者との深い絆に触れた言葉が注目されました 。
現在とこれから—家族の形と50年の活動への誇り
現在、石田えりさんは活動の頻度こそ少ないものの、2025年にはご自身の監督・脚本・編集を務める映画『私の見た世界』、そして『日めくりの味』など、新たなチャレンジを続けています。長い活動期間で培ってきた表現力と魂は、まさに“家族以上の財産”であり、これからのさらなる飛躍が期待されます。
未来へのメッセージとエピソードの重み
石田えりさんは幼少期、施設という環境の中で自立し、芸能界の中でも常に強さと誠実さを体現してきました。離婚会見でも衝撃の言葉を恐れず語り、自分らしさを貫いた姿勢は多くの人の胸を打ちました。現在に至っては、表舞台に留まるだけでなく、映画制作など新たな表現の場にも挑戦を続ける姿は、まさに芸術家であり生き様そのものが家族であるかのように感じられます。今後も、石田さんの活動には目が離せません。
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