深津絵里の家族への深い愛と母の思い出を胸に今も静かに輝き続ける女優としての現在

女性芸能人

深津絵里さんというと、昔から清楚で凛とした雰囲気のある女優さんとして知られていますね。ばあばも昔からテレビで見ていて、その自然体な演技や、派手すぎない美しさに惹かれておりました。そんな深津さんの家族との関係や、今どんな暮らしをしているのかについて、少し語ってみたいと思います。

 

出身は大分、自然の中で育った少女時代
深津絵里さんは1973年、大分県大分市で生まれました。豊かな自然に囲まれた場所で育ったということで、のびのびとした子ども時代を過ごされたようです。一人っ子だったそうで、家では一人遊びを楽しんでいたとか。ばあばも一人っ子の孫を見ていると、想像力が豊かでしっかり者が多いなと感じます。

 

父と母、そして一人娘のあたたかい家庭
ご両親と三人家族だった深津さん。お父様はエンジニアのようなお仕事をされていたという噂もありますが、詳細は公表されていないそうです。ただ、海外出張も多く、世界を飛び回るお仕事だったそうで、娘の深津さんにとっては尊敬する存在だったのでしょう。お父さんに「自分が似ている」と語っていたエピソードには、娘としての親しみと愛情がにじんでいますね。

お母様は、書道家として活躍された深津諭美子さん。若い頃はファッションデザイナー志望だったそうですが、後にお父様の影響で書道の道へ。深津さんも、お母様の強くて優しい芸術家としての姿勢に、大きく影響を受けているように感じます。

 

芸能界への道を開いた13歳の少女
芸能界入りのきっかけは、13歳で受けた「ミス原宿グランプリ」の受賞。あの頃の原宿は、若者の流行の発信地でしたね。そして15歳で映画デビュー。あの有名なJR東海のクリスマス・エクスプレスのCMも、とても印象的でした。ばあばは今でもあの雪の駅のシーンを覚えています。

 

母の反対と、娘の決意
中学生で芸能界に入りたいと話した時、お母様は猛反対したそうです。表現の世界で生きる厳しさをご自身で知っていたからこそ、娘に同じ思いをさせたくなかったのでしょう。でも、「決して天狗にならないこと」を条件に、深津さんの覚悟を認めたとのこと。親としての厳しさと愛情が詰まった素敵なお話です。

 

表現者としての親子の絆
深津さんは、女優としてだけでなく、料理好きで知られています。その味のルーツは、お母様から教わった和食なんだそうです。料理を通して母とのつながりを大切にしているというのは、なんとも温かいですね。ばあばも、娘や孫に味噌汁の味を伝えるたびに、そうした想いを感じます。

 

パートナーとの静かな時間
公には結婚していない深津さんですが、長年寄り添うパートナーの存在が報じられています。スタイリストの白山春久さんという方で、仕事でもプライベートでも支え合っているとか。派手な交際ではなく、静かに穏やかにお互いを尊重し合う関係は、ばあばの理想でもあります。

 

母を亡くした喪失と、女優としての再出発
2015年にお母様を亡くした後、深津さんはしばらくお仕事をセーブしていました。それでも2021年の朝ドラ『カムカムエヴリバディ』で再び表舞台へ。あのときの母親役は、ご自身の経験とも重なっていたのかもしれません。ばあばも観ていて、胸がじーんと温かくなりました。

出典元:スポニチアネックス/2021年の朝ドラ『カムカムエヴリバディ』

 

これからの深津絵里さんに期待して
2025年には、映画への出演も発表されており、ファンとしてはとても楽しみですね。静かな中にも芯のある深津絵里さんの生き方は、若い世代にもぜひ知ってほしいとばあばは思います。家族への愛情、自分の信念、そして表現することへの真摯な姿勢――そのどれもが、これからの時代を生きる上で大切なことだと感じます。

深津絵里さん、これからもどうぞお元気で、素敵な作品を届けてくださいね。ばあばはいつでも、テレビの前で応援していますよ。

 

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