2002年2月20日生まれの玉田志織さんは、宮城県仙台市で育ち、ダンス・歌・演技に秀でたマルチな才能の持ち主。彼女の人生と現在を支えているのは、家族との深い絆です。小学生時代に直面した東日本大震災という悲劇や、それを乗り越えてきた家族との経験が、彼女の人間性と女優としての軸を形作っています。
ダンスが育んだ「自分だけの世界観」と表現力の源泉
玉田さんは小学1年生のときから地元・仙台のダンススクールでヒップホップダンスを習い始めました。こちらはモデル・女優としての第一歩でもあり、表現する喜びや自己表現への情熱を育んだ大切な時間です。
ダンスに没頭した幼少期 やり過ぎて流れ出した自分の世界
ダンスを始めて以来、玉田さんは「踊っていると自分の世界に入ってしまう」と語るほど夢中になったそうです。先生から振り付けを教わるだけでなく、自分なりにアレンジしてしまうほどの探究心を持ち、ダンスを通じた自分らしさを磨く源泉となった経験だそうです。
コンテストでダンスと歌を武器に 審査員特別賞受賞の切っ掛けに
ダンスと歌を両立しながら表現力を伸ばし、小6で参加した『全日本国民的美少女コンテスト』では、歌とダンスのスキルを武器に審査員特別賞を獲得。これが芸能界入りの決定打となり、以後ダンス経験がタレントとしての武器になっています。
ダンスが引き出す運動神経とパフォーマンス力
ダンスの経験は運動能力の向上にも繋がりました。体育の授業で「ダンス習ってたの?」と褒められたり、長距離走やリレーで成績を残したりしたのも、身体を動かす訓練の賜物です。ダンスが育んだ運動神経は、高校時代の体育や中学の応援部活動でも生かされています。
幼い頃に経験した震災と家族との強い結びつき
小学3年生の時に東日本大震災で被災し、父方の祖父母を津波で失った玉田さん。その時の経験が、彼女の心の芯に深く根付きました。避難所に入れず家族と車中泊をした記憶は今も鮮明で、「当たり前の日常は幸せ」と早くから気づいたと語っています。この体験は、演技や表現に真摯に向き合う力につながっています。
両親の支えと震災後の日常を再構築してきた日々
被災当時、父親は不安を見せず、幼い玉田さんに明るく話しかけ続け、家族を励ましたそうです。その姿は、「会話の力で救われた経験」として、彼女が人に伝えることの大切さを深く意識する転機となりました。
親子の温かな関係が育んだ「表現する芯」
ドラマ『ブルーモーメント』出演時、気象災害から人命を守る役柄を演じる玉田さんは、自らの震災体験を演技に込めています。「日常の尊さ」を伝えるため、滑舌や発声法にも真剣に取り組んでおり、家族や被災地への思いが役作りに反映されています。
家族の影響で培った自己表現と強い意志
芸能界入り以前にダンスや歌を習っていた幼少期から、自分を表現する術を身につけていた玉田さん。父母の支援や震災を通じた家族の結びつきが、表現者としての芯や意志力を育んでいます。
モデルとしての歩み 家族が見守る中で進む第一歩
2017年『全日本国民的美少女コンテスト』審査員特別賞を受賞し、ユニチカマスコットガールとしてデビュー。写真集や広告出演など、家族の支えとともにモデルとしての道を歩み始めました。
女優としての活躍 幅広い役柄に挑む現在
2019年のドラマ『私のおじさん~WATAOJI~』で女優デビューして以来、WOWOWやテレビ朝日、フジテレビをはじめ多数の作品に出演。『ブルーモーメント』(2024年)では災害通信班役、『離婚しない男』(2024年)ではサイコパス的部下役と、多面性のある演技を披露しています。
出典元:BB-navi / ドラマ『私のおじさん~WATAOJI~』
地元仙台との繋がり 家族とともに歩む現在
最近では地元・仙台でソロキャンプ番組に出演し、宮城での暮らしを発信。その自由で自然体な一面は、家族と育んだ土壌があってこその“等身大の魅力”です。
これからの展望 家族の思いと共に描く未来像
今後は、「ありのままの自分」をさらけ出した写真集を出版し演技だけでなく表現の幅を広げています。また、映画や舞台でも家族や災害にまつわるテーマを扱う作品に携わる意欲を見せ、社会と関わる姿勢はますます深まっています。
家族との絆が紡ぐ 玉田志織の“今”
玉田志織さんは、家族が支えてきた震災経験と自らの表現力を原動力に、モデル・女優として活躍しています。娘として祖父母を失いながらも、親が示した明るさと家族との会話が彼女の成長に繋がりました。これからも家族とともに歩む彼女の選ぶ作品や発信に注目したいと思います。
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